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事始めなど年始を迎えるための風習①

寒さがひとしお身にしみるころとなりましたが、いかがお過ごしでしょうか。年末年始の慌ただしさも過ぎて、今年もほぼ2カ月が過ぎようとしています。お正月を迎えるにあたり、皆様の家ではどのような準備を行いますか?大掃除を行ったり、門松を出したり、お節料理を作ったりと、家々によって年末の準備は違うかと思います。そもそも年末の準備そして12月に送り合うお歳暮の云われはどこから来るのでしょうか。本日はそういう風習についてお話したいと思います。

1 事始めとは
2 煤払い
3 松迎え
4 年男

事始めとは

まずは事始めという言葉の意味についてご説明します。これは正月事始め(しょうがつごとはじめ)とも言い、正月を迎えるための準備をし始めることです。以前は旧暦の12月13日に行われていましたが、現在は新暦の12月13日に行われています。まだ今のように電気などが発達していない頃は、正月のお雑煮などを焚くための薪などを用意するため、山で必要な木を取ってくるという習慣があったそうです。なぜ12月13日に行われるようになったかというと、江戸時代中期まで使用していた宣明暦では鬼の日にあたり、鬼の日には婚礼を上げる以外のことをするのに相応しいとされており、お正月の神様を迎えるにも良い日であるという理由からだそうです。

京都の祇園ではこの事始めの習わしが今も続いており、芸妓や舞妓が芸事の師匠や普段出入りするお茶屋を訪れ、挨拶をするのだそうです。

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日本風習

お花見の意味や由来

桜のお花見の意味とは?
桜のお花見の意味や由来は?簡単に子供に伝えるには?2
一方、庶民にとってのお花見は貴族と違った意味合いがありました。

もともと、花見の習慣そのものは、
嵯峨天皇が開催した平安時代よりもさらに前、
奈良時代には既に存在していたのです。

この頃の花見は花の美しさを楽しむ、
というよりも神事としての意味合いがありました。

桜は、田の実りを司る「サ神」様が座る場所という
意味の「クラ」が組み合わさり、「サクラ」と呼ばれるようになった
というのが主流の説。
だんだん暖かくなる時期に花を咲かせるので、
田植えを始める時期の目安としても重宝されました。

さらに、花見の対象が桜となる前の梅は別名「春つげ草」とも言い、
春の訪れを告げる花。

現在のように正確な気温を知る術がない昔であれば、
梅や桜は、田植えのタイミングを計るのに
重要な花だったと想像がつきます。

特にこの頃は、庶民のほとんとが自給自足だった時代なので、
田植えができないことが、そのまま食料難に繋がります。

田植えの時期を知らせる桜は田植えを司る神様の特別な場所として、
大切にされたのは当然の成り行きだったのかもしれません。

実際、神事として特色が強かった頃は、
桜が咲くのはサ神が天から降りてきた
サインと考えられていました。

花の根元に食べ物などをサ神へお供えし、
秋の豊作を願ったのです。

また、お供え物は神様に捧げられた特別なもの。

お供えした後の食べ物は、下げた後は皆で分け合いましたが、
これはサ神の力を体へ宿したり、汚れを祓う狙いがありました。

この考え方は現在でも、お供え物や鏡餅などに
通じる物がありますね。

時代の流れの中で、農業の生産性が向上し、
サ神の信仰は薄れましたが、桜の下で美味しい物を
食べて楽しむ習慣だけは残ってきたのです。